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全国公立高等学校事務職員協会研究大会(特別分科会)報告

2014年09月12日 (金) 16:25
全国公立高等学校事務職員協会研究大会(特別分科会)報告
      (鹿児島県公立学校事務職員協会 本部理事 本吉 恵)
 

○特別分科会(被災地視察)

 平成26年7月23日(水)から3日間,岩手県盛岡市で全国公立学校事務職員協会研究大会が開催された。今年度は,東日本大震災後,初の東北支部での開催のため,全体会の前日に特別分科会として被災地視察が行われた。
 視察には鹿児島県から2名,全国から計78名が参加,バス2台に分乗し,盛岡市発着で主に岩手県の陸前高田市と大槌町を訪問した。
 訪問地では住民(語り部)から当時の体験を聞き,移動中のバスでは,当時沿岸部の学校に勤務していた事務職員(4名)の体験談を聞いた。また,参加者からはそれぞれ自己紹介と3.11にどこで何をしていたか,またその後の生活に変化があったかなどを紹介し合った。
(なお,このときの事務職員の方の体験談は全国協会のHPに掲載されています。)


○陸前高田市の被災概要と現在

 陸前高田市は,震災後の奇跡の一本松で知られる地であるが,震災前の市街地は縦横約2キロの海抜約0mの場所にあり,市庁舎を始め,JRの駅,主な施設や建物,住宅が集中していた。よって,3階建ての市庁舎を超える程度の高さまで津波が到達したときには,向かいの教育委員会が入った市民会館・体育館に避難したほとんどの市民や市教委職員,そして市全体では1700名以上が死亡または行方不明となり,県内でもっとも被害が大きかった。
 現在はすべての住宅とほとんどの建物が壊され,がれきもなくなり,遠くまで見渡せる沿岸部には高さ1mほどの草が茂っているか,または復興事業によりベルトコンベアーが置かれ,隣接する山から土を運び12.5mの嵩上げの土地改良がされている。


○陸前高田市の小中学校の被災

 市街地の小学校は高台にあり津波被害がなかったが,地震発生後,すぐに迎えに来た保護者に児童を引き渡したため,その後の道路の渋滞により,津波に巻き込まれた親子もいた。
 一方,河口横にあった中学校では,教育委員会が事前に指定した避難場所には逃げず,校長の判断ですぐ横の丘に避難したことにより,校舎は屋上まで津波で浸かったがほとんどの生徒職員が無事であった

○大槌町の被災概要と現在

 大槌町はひょっこりひょうたん島(蓬莱島)で有名な場所で,大槌湾に3本の川が流れ込むリアス式海岸沿いにあり,海岸線の複雑さから沿岸部でも数十m離れているだけで津波の被害差に大小があった。また,沿岸部の低地は地震により約80cmの地盤沈下,現在も多数の湧き水が発生している。
 沿岸部の低地にあった大槌町役場は町長以下職員30名以上が死亡した。また,小学校は地震と津波で全壊し解体撤去,跡地を仮設商店街として利用している。
 現在,低地ではがれきを粉砕し盛り土に利用,沿岸地域14.5mの嵩上げの計画が進められている。


○地震の備え

 地震・津波を経験した学校職員の話を聞いて,学校として備えておくべき事柄を考えさせられた。
 まず,学校施設について,避難所として機能するか,ということ。避難所として指定されていなくても,帰宅できない生徒職員や近隣住民への対応を迫られた場合はどうだろうか。例えば水・食料・毛布・暖房器具等の備蓄は十分か,炊事施設・トイレの数は足りるか,バリアフリーの対応はされているか等,実際に備えるには予算も伴うが,少なくとも現状把握は必要だろう。
 次に,体育館が遺体安置所に,保健室が診療施設に,校庭が自衛隊の駐屯場所になるなど,予想されない使用もありうることを想定しておくべきだろう。
 さらに陸前高田市の消防団員の多数の殉職など,公務員の任務遂行と自身の生命確保の相対する事例の発生から,学校職員においても,生徒の救助や任務を完了できなくとも,職員が危険な状況であれば避難してよいか,また迎えに来た保護者へ生徒を引き渡すことができても,すぐ帰宅させてよいかの判断など,学校としての考え方をまとめておくべきだと感じた。
 また,個々の日頃の備えとして,パソコンのデータの保存方法と更新の頻度は災害が発生しても安心な状態にしておきたいと思った。
 学校全体でも個人でも,過去に災害の経験がありながら被害程度が軽度に予測されていたり,また災害への備えが完了・完璧であると過信していないかを改めて見直すべきだと教えられた。


○教訓「津波てんでんこ(命てんでんこ)」

 地元の方の話でも全体会の陸前高田市長の講演でも言われたのが,「津波てんでんこ(命てんでんこ)」だった。「てんでんこ」とはめいめい,各自という意味で,津波が来たら,それぞれが自分の命は自分で守りなさい,ということだった。このことから災害発生時の各自の対応について日頃から考えておき,またそれを家族や職場で共有しておくべきだと感じた。


○終わりに

 今回は岩手県で震災を経験された住民の方々と学校職員から,ご自身がどのような状況で命が助かったかだけでなく,目の前で人々が津波に流されていたこと,津波から逃げる車が歩いている人をはねていたこと,身近な方が正視できないほどの姿で見つかった上に火葬も出来なかったことや,ガソリンの入手がとても困難だったことなどなど,数々のエピソードを聞くことが出来た。鹿児島県内でも過去に災害を体験しているが,今回の震災は過去にないような被害で,マスコミで報道された事実以外に,経験された方の話を聞かないと想像さえしなかったことが起こっていたのだと実感した。
 視察した場所は,未だ仮設の住宅や商店が多いこと,道路や鉄道が未完であることなど,まだまだ十分なものではなかったが着実に復興が進んでいた。そして被災した建物などが撤去されていると,震災の発生を実感出来にくくあるが,この災害を忘れることがないよう,今後も被災地への関心を持ちつづけていきたいと思った。


 
岩手特別分科会3

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